令和7年度 第2学期終業式 校長講話
■みなさん、おはようございます。校長の黒田です。2学期の終業にあたり、校長として2点、話をしたいと思います。
■長かった2学期も本日で終了です。2学期は、松女祭や体育祭、そして芸術鑑賞会、また2年生の修学旅行など、多くの学校行事がありました。思い出がよみがえります。さらに、それぞれの部活動も大いに活躍しました。大変良く頑張りました。行事や部活動を含め、この2学期、生徒のみなさんはたいへん多くのことを経験し、そして成長できたことと思います。また、今年度は創立百周年記念式典も執り行い、またとない創立百周年を皆で祝福することができました。
■ということで、1点目は、創立百周年記念式典について、少し振り返ってみたいと思います。去る11月22日、大野知事をはじめ、多くの来賓の御臨席の下、全生徒参加で本校の創立百周年記念式典を挙行することができました。内容は、式典、そして東大名誉教授の上野千鶴子先生の記念講演、その後は、本校筝曲部、吹奏楽部、空手道部、音楽部によるアトラクションという構成でした。式典はたいへん厳粛なもので、生徒たちの態度は大変立派でした。来賓の方々からは「素晴らしい式典」であったと口々にお褒めの言葉をいただきました。
■多くの来賓が御挨拶の中で示されたフレーズにみなさんは気付きましたか。それは「地域に愛され、地域と共に歩んできた松山女子高校」という言葉です。この言葉に生徒の皆さんは、何を感じたのでしょうか。あなたたちの母校は、そういう学校なのです。そういう百年の伝統に誇りを持って、それを受け継いでいってほしいと思います。
■歴代校長挨拶で、御年80歳の第20代校長の平工博司先生から御祝辞をいただきました。心のこもった御祝辞で、話されている際に「感極まれり」という場面がありました。本当にありがたいお言葉でした。
■生徒代表の言葉では、前生徒会長の笠原さんが、自身の言葉で松女への思いを語ってくれました。後日、東松山市内の中学校のある校長先生から、すばらしい内容であったと大絶賛でした。私は、内容はもちろんのこと、前生徒会長の返事、演台に向かう姿、話す態度、その立ち居振る舞いに全てに感動を覚えました。さすが全生徒の代表でした。
■上野千鶴子先生の講演会で花束贈呈の大役を果たした、現生徒会長の大内さんも、上野先生からの突然のフリをものともせず、相手の考えを肯定しながらも、自身の松女愛を堂々と語ったその対応ぶりに、来賓の方々からは「ファインプレー」とやはり大絶賛でした。式典に参加されたそれぞれが、それぞれの思いを表現した結果があの式典であったのだと思います。
■学校によっては、会場等の都合で全生徒を参加させられない場合もある中で、私は校長として全生徒をこの式典に参加させることができて、本当に良かったと思っています。この貴重な節目を経験できたことは、みなさんのこれからの人生の大きな価値になることと確信しています。この百周年という貴重な節目に、同じ場に集うことができた縁とその意味というものを、それぞれが考えてみてはどうでしょうか。
■2点目は、式典でも皆で合唱した「校歌」のルーツについてです。先日、生徒会誌『青垣』76号の原稿依頼を受けて、何を書こうかと草創期の『青垣』を紐解いておりました。昭和32年発行の『青垣』7号には、県立移管後の初代校長である浅野光良先生の『校歌の生れ出るまで』という文章が掲載されていました。浅野校長先生は、昭和22年から昭和31年までの10年間、本校で校長を務められ、今もなお歌い続けられている愛着の校歌を作詞されました。
■本校は今年度創立百周年を迎えましたが、『青垣』76年の歴史は、本校県立移管後の歴史であり、本校校歌の歴史でもあります。私はここに浅野校長先生の『校歌の生れ出るまで』を披露し、本校の原点を皆で確認したいと思うのです。
「校歌の生まれ出るまで」
作詞者・第5代校長 浅野 光良
本校の校歌は、昭和二十七年四月二十七日、その作曲者である高木東六氏、及びソプラノの大谷洌子(おおたに・きよこ)嬢、バリトンの下谷川圭祐氏の両歌手を招き、校歌発表記念音楽大会を開催して、新購入のピアノで作曲者自らが伴奏し、堀川教師の指揮の下に本校音楽班生徒達の合唱によって発表され、専門家大谷嬢の独唱によって感謝裡に披露されたのであった。
おもえば昭和二十三年三月十八日、今の松山第一小学校の敷地の一隅から現在の校地に移転して、開拓又開拓、講堂及び校舎の増新築を行い、翌年三月一日、めでたくも待望の県立移管に成功し、校運隆昌(こううんりゅうしょう)学園は向上発展の一路を辿るに至ったことと、一面学制改革により、学校内容の変遷から自然校歌の改正が行われゆく他校の状況を見るにつけ、本校には開校以来校歌の無かったことも更に起因となって、何とかして「校歌を」という気運が胎動し始め、時を経るにしたがい漸次それが声となって現れ来ったのである。(中略)この際、作詞は浅野校長にと、急転直下私の方に白羽の矢が向いて来たのだった。理由は「本校県立初代校長だし、県下高校の国語研究会長なのだから。」との事らしい。私も「このまま推移せんか何時の日か成る。」と思ったので終に自分で引受けることに決心した。(中略)
先ず全体を三段に分ち、最初には前景として、霊峰富士の秀でた姿と、青垣なせる秩父連を、一望の中に眺め得る「いみじき場よ」と賛美し、次には背景として箭弓の神域及び松にゆかりの土地を前段同様平面的(空間的)描写に取上げて「開けし場よ」と、その広やかさと新に開拓された意図を匂わせ、最後には都幾川の流れ絶えざることと、私の縁永久に色変えぬ万代不易的尊さを寿ぎ、これを立体的(時間的)な深みと永遠性を合せて「栄ゆく場よ」と謳歌し、その発展性を希求し祈念して見たのである。(中略)
校歌であるからには叙景的や抒情的だけでは意を尽くし得ないので、本校制定の生徒生活目標等に関連性をもった言葉や内容を取り入れることにも努めて見た。「天分伸ばし」、「身魂鍛へ」、「情操磨き」から、「知性を高め」、「技術を練りて」、「婦徳を修め」など、人間形成上、又女性としての修養上プラスになる条件はこれを織りこんで見たのである。なお「天地のいかなるものか乙女の若き生命にあへてまさらむ」の歌意に則り、「若さ」を高く評価し、「若き力」、「若き血潮」、「若き生命」を尊く活用することを強調し、最後に学徒の究極の目標である真理探究に手を携え、足並みをそろえて勇往邁進すべく鼓舞激励の意を歌いこむことにしたのである。(中略)
本校に学ぶ生徒諸嬢よ、心あらばこの経緯を知られ、この真情をくみとられて、この校歌を愛誦せられよ。やがて諸嬢が他日社会人となられ、家庭人となられても、折にふれてこれを口ずさむ時、諸嬢の心は母校の屋上を訪れるであろう。ここに本校校歌の由来を摘記して、後にのこし伝え、何かのよすがにもと思うものである。
■みなさん、どうでしたか。今、全校の前で浅野先生の校歌への思いを紹介し、現役の校長として身の引き締まる思いです。松女の象徴でもあり、愛するこの校歌を作ってくださった浅野光良校長先生に心より感謝の意を捧げます。
■今年、乙巳(きのとみ)の年も残りわずかです。来年は丙午(ひのえうま)の年、松山女子高校の創立百一年目の年。新年が松山女子高校にとってよい年になるよう、また、みなさん一人一人にとって意義ある年になるよう祈念して、2学期終業式の校長の話といたします。みなさん、よい年をお迎えください。